2012年07月04日
無益

むかし中国の晋朝に恵遠という高僧がおりました。
恵遠はもとの姓を賈(こ)といい、若い頃は腕利きの猟師でした。
山野をかけて鳥獣を撃ちとり、それを売るのを業とする賈(こ)には、罪なき生き物の死の苦しみを見ても、一滴の涙さえありません。
或る日、彼は田んぼに餌をあさる子連れの鶴を見つけました。
第一の矢が子鶴を射止めた時、親鶴は、弦音を聞いてはっと羽ばたきましたが、子鶴の死んでいるのを見ると逃げようともせず、悲しい声を絞って、啼き続けます。
しかし、賈は、それで心を動かすような男ではありません。
第二矢をもって、この親鶴をも仕留め、持ち帰って料理にかかりました。
ところが、親鶴の腹を割ってみると、驚いたことに腸(はらわた)がズタズタに裂けています。
今までなかったことであり、一矢で殺したのが、こんな具合になる筈がありません。
どうも不思議なことだと考えているうち、はっと思い当るふしがあって、賈は手にした刃物を投げ捨ててしまいました。
子鶴が先に殺されたのを見て、その場を去らずに啼いていた親鶴。
そのあまりの悲しみに腸が裂けてしまったのです。
賈は、自分の無慈悲さ、今までやっていた渡世が空恐ろしくなりました。
賈はそれっきりぷっつりと猟師をやめて山に登り、道安法師の門に入って僧となりました。
これが高僧、恵遠の発心動機だと伝えられています。
我々凡人には、このような出来事によって仏門に入り、精神の高みに至る志を持つことは、まったくもって不可能な事かもしれません。
ただ、私たちのように、川魚を娯楽で楽しんでいる者は、せめて食することもない無益な殺生だけは厳に慎みまなければならないそんな気が致します。

Posted by mpfyh669 at 10:33│Comments(0)
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