2012年04月22日
所作振る舞い
先日、川沿いで釣りをしていました。この釣りの場所は、遊歩道になっていて、時々、近くに住む人たちが、散歩やジョギングなどに使っています。
そんな遊歩道に目の不自由な人が杖をついて歩いていました。
川にはフェンスもなく、油断したら、川へ転落なんてことも考えられます。
一人の女性が駆け寄って「そこは危ないですよ!」 と手を引いて優しく声を掛けられる姿を見て初めて気がつきました。
私は、そんなちょっとした気遣いが、その時、思い浮かびませんでした。
話しは変わりますが、最近は、ロボットの研究が進んでいて、日本はその分野で世界一だそうですが、ロボットがどんなに精巧に作られていても、人間の体の仕組みには到底かないません。どんなに研究が進んでも人間と全く同じロボットを造ることはできないのです。
それ位、人間の体の仕組みというのはよく出来ています。
ところがどういう訳か、人間には一箇所だけ「かゆい所に手が届かない」場所があるそうです。背中の真ん中辺りがそうです。
ここは、どんなにかゆくても自分ではかけません。
「もちろんそれは手違いではない。わざわざそうしたのだ。人間は俺が俺がと、どうしても自分中心に物を考える。でも決して一人では生きていけないのだ。人さまの手を借りないと生きていけない。
だからもちつもたれつ、かゆい所をお互いにかきあって生きていくよう、その為に自分ではかけない所をわざわざ残してあるのだ」と神さまがおっしゃったというお話しが、昔読んだ本に出てきます。
人の為に何かを成すこと、これが人間の人間たる所以です。
人を助けるとは大げさなことではなく、相手に対して思いやりを持つということですが、でも、これって、先の話しみたいに、いざ自分に置き換えると、まるで出来ない訳です。
やっぱり自然体で出来るようになるには、常に意識して習慣にまでならないといけない。
哲学者の西田幾太郎は、気づきとは「反省と直感」であると言われる。
分かっていたつもりでも、理解していたつもりでもなく、体全体で感じとるもの、心腑に染めなければ深く気づくことはできないこととを諭されます。
気づくこと。
思いやり。
先の女性のように、そんな所作振る舞いが、頭で考えるまでもなく自然に行える人は本当に素晴らしいですね。