恵まれた自然とともに暮らしてきた日本人は、古来から山には山の神が、海には海の神が、森、木あらゆる自然に神が宿ると考えてられてきた。
又、自然に畏怖の念を抱き、敬虔な祈りと感謝を捧げるという自然との共生の考えが古代から根付いてきている。
日本人には、自然をあるがままに受け止め、畏敬し、感謝し、自然に溶け込もうとする思想が基本にあり、自然の中にいると癒されるという感覚も農耕民族であった遠い祖先からの記憶が、我々の体の中に脈々と生きづいているからなのかもしれない。
ブログで紹介している宝満川。この宝満とは、宝が満つると書く。
宝が満ちてゆくというなんて、なんといい響きだろうか。
なぜこの川が、「宝満」という名称で呼ばれているのか?
前から興味があったので、古い文献に目を通してみることに。
宝満川は、その源を辿れば宝満山。
太宰府と筑紫野市の境に聳える、この宝満山は、実は古来より山岳信仰の霊山と知られおり、また、英彦山と並ぶ修験の聖地でもある。
その山岳は、常に霧が立ちこめるような神秘的な雰囲気で、竈門山や御笠山とも呼ばれていたと貝原益軒「筑前国続風土記」は示す。
この山と人々の関わりは古く、天智天皇の時代、太宰府の守護神、鬼門除けや遣唐使の航海安全の神がこの地に祀られたとされている。
また、七世紀の末に朝廷よって上宮いわゆる竈門神社が創設されて、心蓮上人が開山、役行者も修行をしたと伝えられる。さらに、伝教大師こと最澄は渡唐を待つ間、約1年を筑紫で過ごし、延暦ニ十二年、宝満山に参籠したという。
それ以後、高僧の往来が盛んになり、平安時代末から鎌倉時代には、麓に多くの坊舎があったと伝えられ、宝満山修験を中心とした宗教文化が華開く。
一番の気になる名前の由来なのだが、この山の名称は、神仏習合によってこの山に鎮座する神が「宝満大菩薩」とされたことから「宝満山」と名付けられたといわれる。
歴史の教科書でも有名な、天台宗の開祖である伝教大師が、私が住むこの「筑紫」の土地に1年間過ごしており、そして、神通力で誉れ高い、修験道の開祖の役行者もこの山で修行していたとは知りませんでした。
まさに修験の聖地とされていただけに、どこか不思議な歴史的佇まいを感じさせる場所が多いように感じている。
宝満という土地を通して、多くの偉人たちが行き交い築き上げてきた歴史や文化。私が想像していた以上に、歴史的に誇れる素晴らしい土地であることがわかった。
そんな神秘的な山、この宝満山を背にしながら、いつも変わらぬ宝満川で釣りを楽しむ。これからも自然と共生しながら、宝満周辺の環境を末永く見守っていきたい。